マリクレール 10月号 − ドギョンスの叙事 (インタビュー)

ドギョンスの叙事 − 俳優ドギョンスは演技の中で誰にでもなりうる。彼が満喫する最大値の自由がそこにある。

 

(※叙事=事実や事件をありのままにそのまま記すこと)

 

ドラマ<百日の郎君様>の初回が放映されて15時間ぶりだった。彼の初めての主演ドラマがtvN月火ドラマ史上初の最高視聴率を記録したという便りを伝え聞いたところに、チェックのシャツに綿のパンツを身につけた青年が気配もなくスタジオに入ってきた。同行したスタッフがいなければわからなかった、印象的な程素朴な世子邸下の登場だったが、さらに印象的なのは寛容な空気の中、彼が俳優として持った鮮やかな顔だった。

 

2014年映画<カート>で始まるフィルモグラフィーを顧みると、ドギョンスは自身に降り注ぐ光と歓声から離れたところで、俳優として意識的に現実に足をつけようとする人のようだ。スーパーマーケットの非正規職員の10代の息子(<カート> 2014)、視力を失った国家代表柔道選手(<ヒョン(兄貴)> 2016)、どうにかして1,800万ウォンの学資金を返済しなければならないDVD部屋のアルバイト学生(<7号室> 2017)、か弱い軍人(<神と共に> 2017)になって、彼は苦しく貧しい暮らしの中に入る。そしてその見知らぬ世界で平均以上の、あるいは皆が同意するほどの良い演技で俳優としての才能と可能性を証明してきた。絶え間なくジャンルとキャラクターをあれこれ変えてきたその蓄積された変化が、もう水面上に上がってくるところだ。この冬公開する映画<スイングキッズ>では力強い北朝鮮軍捕虜 “ロギス” になり、その中で精一杯自由になるだろうから。

 

彼の淡泊な言葉をそのまま伝えるなら、ドギョンスは“演技が良い”。声と言葉の高低、途中時々あいまいに濁っても必ず返ってくる的確な答え、笑いの合間合間で彼が繰り返し表す “良さ” が、ただ習慣のように作られた感情ではないことを知った。以下に続くインタビューには慎重かつ低い声で “良い/好きだ” という言葉が11回出てくる。(生の対話の録音ファイルには24回使われていた) 好きでやる人の演技には見る人さえも好きにさせてしまう力がある。その健全な叙事を同時代に見ることができるということは間違いなく喜ばしい事だ。

 

今朝<百日の郎君様>の初回視聴率を聞いただろう。
寝ていたが電話を受けた。(笑) 祝福を沢山受けて嬉しい。

 

初のドラマ主演だ。(役の)比重の重さ軽さとは別に、現場で責任感も経験したようだ。
今回の作品をやりながら、責任感をより感じることになったようだ。台本も読めるだけ沢山読んだが、この程度では足りないと感じた。台本を開いて見たとしても10回でも全然足りないと思う程。ドラマはジャンルの特性上、話が長かったり、劇中での時間の流れどおりに撮影するのではなくて、以前の状況がが何だったかを思い出してみたり、度々こんがらがったりもする。その中で僕が台本をとんでもなく沢山読まなければならないと思った。

 

1年間、映画<スイングキッズ>と<神と共に2>、アニメーション<アンダードッグ>、これに加えてドラマにコンサートまでした。ドギョンスという人が時間と体力をどのように分けて使っているのか感覚がわからない。
多分何年か前だったら不可能だっただろう。もうエクソがデビュー7年目に入り、ノウハウが次第に身についてきたようだ。コンサートの準備や振りつけの練習を以前よりは早く習得できるようになったので、そこで時間配分をうまくしようとしている。

 

ある者は、大きく深呼吸をし、時に休んだりもして、大きな絵を描かなければならないと言う。ところがドギョンスのフィルモグラフィーは、今日だけ生きるかのように最善を尽くしているように見える。
考えようによっては、全ては過ぎ去るものではあるが、“今”こそ本当に重要な時間だから。だから常に最善を尽くす…僕はそうだ。誰かを失望させてはいけないという気持ちが強くて、また、そんな姿を見せたくなくて、さらに一生懸命するところもある。もちろん僕の欲もあるのでそれを満たそうと沢山努力するようだ。

 

自己満足から原動力を得るほうなのか?
確実にそうだ。もちろんお見せする職業だから大衆の満足が常に重要だが、僕自身の基準も高い。結局僕がすべき事なのだから、僕がまず満足しなければいけないんじゃないか。それでこそ観客も満足させることができると常に思っている。

 

この冬公開する映画<スイングキッズ>はダンスと音楽を見せる軽快な作品でもあるが、1951年捕虜収容所を背景にするという点で大韓民国現代史の一部分を入れざるを得ないだろう。過去の映画<カート>と<7号室>もやはりそうだったし、俳優として社会の一片に触れてきた。
人の匂いがする作品が好きだからかも知れないが、(作品の)選択の過程でタイミングがぴったり合っていたようだ。劇中の時代と社会的背景は違っても、多くの人と作品で共感して、また、誰かが僕の演技で疲れた心に力を得られるのなら、そうなれば本当に嬉しい。

 

学資金ローンに悩まされる青年であったり関心兵士であったり、ドギョンスが演じる人生は大抵容易でない。弱者を代弁するのはある意味勇気がいることだが、その部分で躊躇したり恐れたりはしなさそうだ。
全く恐れることではないんじゃないか。かえって僕がそれをできる状況がありがたく、とても良いことだ。その点でも、俳優はとても良い職業だ。

 

映画<スイングキッズ>の準備をしながらタップダンスを覚えたはずだが、難しくなかったか?
ものすごく難しかった。タップダンスはダンスではなく楽器を習うものだと考えてアプローチしなければならなかった。身体を使って大きく見せる点もあるが、ドラムを叩くように足を踏み鳴らして音を出す原理なので、最初は容易ではない。いつも身体を使ってきたのにも関わらず、最初は自分が運動音痴のように感じられた。自らリズムを作ることができて、その過程で作られる音を聞いた時に快感が得られる。

 

俳優の長所の中の一つは、作品をやりながら新しい事を覚えられるということだ。
今でもじっとしている時は足が動く。そんなところがとても良い。作品をやりながら僕だけの長所や武器を得ることができるから。

 

ジャンルとキャラクターをコツコツとあれこれ変えてきた。やった事がない事をやってみたがるタイプか?
その通りだ。以前心に傷があるキャラクターや幼く見えるキャラクターをしてきたとすれば、キャラクターも次第に成熟して変わるようだ。歳を重ねると人も変わるように、時間が経って僕が出会うキャラクターの指向も変わるようだ。その姿をそのまま見せたい。

 

映画<スイングキッズ>の主人公“ロギス”こそ男らしくて大胆な青年だという話を聞いた。
ものすごく。(笑) 今までに演じた人物の中でいちばん男らしいキャラクターじゃないかと思う。今僕の年齢でできる大胆なキャラクターの頂点だと思う。しっかりしていて、一方ではいつも問題ばかり起こして悪童のようだが、正義の人。だから憎めない人だ。

 

ドギョンスといえば浮かぶ真面目で大人しいイメージを、その枠を一度破りたい選択なのか?
でも僕はそんなに大人しいだけではない。親しい人々は知ってるだろうがいたずらも沢山する。ロギスというキャラクターにもそのような面が沢山盛り込まれている。僕がお見せできなかった姿が。(番組などの)放送で何かとふざけたり…(笑)そんな事はできないが、団体生活していると他のメンバーが引き受けてうまくやってくれる部分もあるので、むしろ静かにしていることになって、それでそんなイメージが…

 

自由奔放なキャラクターの中で人間ドギョンスも自由を感じたようだ。
そういう部分が本当に良い。演技というものは。普段しない事、やってみた事がない事をその(作品の)中では自由にできるから。ものすごく大きな長所だ。

 

やってみたい事が沢山溜まっているのか?
溜まっているというより、シナリオを読んでそれまで思いもよらなかった自分の姿を新たに知ることになるようだ。“このキャラクターがこういうセリフを言う時、こういう気持ちだろう”と推し量りながらも、“だけど僕ならここでこういう風にするんだけど” と自分を顧みる。演じながら自ら発見できなかった自分の姿、それまで想像しなかった自分の一面が出てくるようだ。

 

没頭したキャラクターにより日常のドギョンスも変わるのか?
普段の僕は僕で、演じる現場ではキャラクターに最大限没頭しようと努力する。(自分と役の)キャラクターの差より、時差の影響をより多く受けるような気がする。ある作品に没頭してみると、生活パターンが完全に逆になるので、作品が終わると戸惑ったりする。ドラマを撮影する間は、早く起きて始めて、また、遅く終わったりもするから、全ての撮影が終わっても、4時間寝ると反射的に目が覚めてしまっていた。現に目覚めてぽつんとしてちょっとぎこちなかった。台本を読んで何でも覚えなければいけない気がして、聞慶(ムンギョン/ドラマ撮影地のひとつ)に行かなければいけない気がして。(笑) 今はその時よりは睡眠をもっととる方だが、確実に勤勉になった。

 

演技をする前のドギョンス、演技をし終えた後のドギョンスの最も大きな違いは何か?
監督とスタッフ、俳優の方々など現場で色々な方に沢山出会って影響を受け、社会的に一段階上がるようだ。大人っぽくなると言うべきか。演技とは別に、それが最も大いに変わった点のようだ。演技をする前は何も知らない子供だったとすると、作品を一つずつ経て多くの人に様々な話を聞いたりして成熟するようだ。

 

社会化されると言うべきか?
でもそれは誰でも同じことだと思うけれど(笑) ドラマや映画の現場が他の仕事に比べて速度がものすごく速いから。歌手として活動する時はメンバー達とマネジャー兄さんたちといつも一緒にいるが、演技の現場は監督、俳優の方々問わず毎回スタッフが違うので、新しい人々に出会い、態度が大いに変わる。

 

俳優として今の地位に至ったのは本人のどのような面が肯定的に作用したのだろうか?
自分の話をあまりしない方だ。辛くても辛いと言わず、一人で我慢する。こんな性格が時に苦しいけれど、それよりは長所として作用した時が多かった。人に迷惑をかけることを極度に嫌う指向も同じように。そんな性格が役立ったようだ。人に迷惑をかけるのが嫌で。

 

ところがその性格が自分を疲れさせて孤独にする時があるのではないか。心を楽にする為には身体を2度動かさなければならない状況にも耐えなければならない。
他の人に迷惑をかけるぐらいならその方が良い。おかげで自ら練習をもっと沢山するし、例え2度行動する過程で自分がストレスを更に受けたとしても、結局過ぎ去ってしまえば大したことじゃないのではないか。誰かには配慮となれる事であり、何よりこれが良く、正しい事だから。そういう風に考えようとする。

 

良くて正しい事だが、同時に容易ではないことでもある。
両親の影響が大きいようだ。辛い瞬間があっても子供たちに話したり表情に出なかった。恐らく多くのご両親がそうなさるだろうが。近くで見ながら自然に身についたようだ。

 

作品を離れている時のドギョンスの平均の心の状態が気になる。
おおむね平穏だ。ストレスを受ける状況もあるができるだけ早く忘れようとする。何より “自分が不安を感じる” 状況自体を嫌うので平常心を維持しようと努力している。いつでも。

 

今後どんな役が来たら一気にやることになりそうか?
今までこういうものをやりたいだとか、やらなきゃいけないと思って決めたのではなく、作品に良い時期に出会った。映画<7号室>の “テジョン” のような場合は、シナリオを読んでやりたいと思う気持ち強くなったが、今振り返ってみると、今までキャラクターがタイミングを合わせて僕のところに来てくれたという気がする。作品は望んでも来るものでもなかったりするし、だから僕の作品は運命のように決まっているような気もする。そんな風に良い時期にタイミングを合わせて舞い込んできた作品であれば、そしてやはり僕がやりたいと感じたら、大きく計算せずにやると思う。

 

直観的に選択してきたわけだ。
シナリオを全部読んだ後、選択することになるようだ。 結局僕がやることで、どのようにしていくべきかは現場で監督とスタッフ達、そして僕自身で一緒に解いていかなければならないのだから。重要な決定を控えて相談する方々がいるが、最後は僕自身の考えに従う。今まで作品が皆シナリオを読んだ時、これはやるしかないと思うものばかりだった。だから次の作品ではどんなキャラクターと出会うことになるのか楽しみだ。

 

俳優の立場で今では少しずつ余裕ができているようだ。
作品を選ぶ範囲が広くなり、僕の経験値が高まり、また、僕自身をより知っていっている。同じキャラクターだとしても以前なら “あぁ、すごく難しそう” と思ったとしても、もう “今だったらやれそうだ。楽しんでできそうだ。” と見計らう余裕ができたと思う。

 

画像Cr: @dyokong0112 on Twitter